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【鬱話注意!】犯罪やミスをしたときに反省させると再犯・再発率が高まるのはなぜか?書籍レビュー

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ミスや犯罪を起こしてしまったときに先にくる感情は反省ではなく、言い訳他責保身である。

ちょっと前に「ケーキの切れない非行少年たち(小説版)」という有名な書籍を読みました。
もうちょっと犯罪のことについて知りたかったので、本屋で立ち読みして気になった書籍を購入。
反省させると犯罪者になります「ん‥(・・?」となるようなタイトルですね。

ケーキの切れない非行少年たちの話とは ちょっと違い、犯罪者やミスをした人への再犯・再発防止に重きを置いた内容でした(心理学的な話が多め)。

あまり良い家庭育ちでない方々は、トラウマがよみがえる可能性があるので閲覧注意かもしれません。
ネタバレありで書籍の気になった部分のみを紹介していきます。

この記事で紹介すること

・悪い行いが発覚したときの人間の「自然な反応」とは?
・すぐに反省の言葉を述べる加害者は悪質?
・まずは彼らの言い訳を聞くところから
・痛みに鈍くなっている自分に気づく
・罪を犯した者が幸せになってはいけないのか?
・書籍について個人的に疑問に思ったこと

ケーキの切れない非行少年たち(小説版)を読んだ感想↓

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目次

悪い行いが発覚したときの人間の「自然な反応」とは?

悪い行いが発覚したときの人間の心理状態として自然なのは、「反省や相手への申し訳ない気持ち」ではなく「他責や後悔の念」だと著者は言います。
※ここで言う後悔は「ミスったな‥」「失敗したな‥」という自分に向いた感情のこと

著者が起こした接触事故の話がされていました。

・著者は仕事帰りの夜遅くにコンビニで車をバックしている時、止まっている車にぶつけてしまった
・止まっている車に当てたので、100%自分が悪いという自覚が著者にあった
・幸い、相手の運転手の方は優しく著者のミスをとがめることはなかった
・著者は相手に ひたすら「申し訳ありません」「本当にすいません」という言葉を繰り返した
・しかし、著者の心の中は違っていた
・著者は学生の卒業論文を指導している立場
・提出期限間近でレポートのような卒業論文を提出してくる学生に怒り心頭だった
・学生に怒鳴りたい気持ちを抑えていたので、精神的に不安定だった
・口では謝罪の言葉を述べているが、著者の心の中は‥
・「あ~あ、ついてないな‥」「なんで、もっと注意しなかったんだろう」「だいたい、あいつら(学生たち)がちゃんと論文を書かないから、こんなことになったのだ!」「しかし、相手が優しい人でよかった」「保険会社に連絡をしないといけなくなった。疲れているのに、こんな夜遅くに面倒だなぁ」
・という事が次々と浮かんできた
相手に申し訳ないことをしたという気持ちは、このときはまったくなかった
・それにもかかわらず、相手に対して謝罪の言葉を言い続けてた
のである
・表向きは相手に対して誠心誠意、謝罪の態度を示しながら、心の中では自分自身のことしか考えていない
・後で冷静に考えると、相手は車を修理に出さないといけないので、大変な迷惑をかけることになるのはわかる
・しかし、あくまで「後で冷静になってから」わかること

ミスったら、すぐに謝る。しかし、心の中は他責や言い訳、保身でいっぱいなのに‥。
あるあるですね(^^;)

自然に反した行動をするから病むという‥とても説得力のある話でした。

しかし、世の中は まず「反省」を求めるよね?
上記の事故だって、すぐに謝ったから相手の人も優しく接してくれた部分もありそうだし‥

世の中はまず反省を求める。
書籍にも書かれていましたが、もし自分が何らかの犯罪等の被害者なら相手に反省と弁償(賠償)を求める確率が高いけど、反省させると再犯率も上がるという(説明は後述)。

再犯と反省を天秤にかけると、再犯の方がしてほしくない。
「反省の言葉いらんから弁償だけして」が合理的な気がしますが‥実際にどうなんでしょうね?

器用な人なら表向きは反省するフリして、実現可能な再発防止(システムを変えるなど)を講じることができますが、大体の人は凡人なので無理ですよね。

とくにマジメだったり、10代くらいの精神が未熟な子、家庭環境が悪かった人に反省させると再犯率が高まるそうです。

すぐに反省の言葉を述べる加害者は悪質?

犯罪や不祥事が明るみになったとき、すぐに謝罪の言葉を述べるのは「悪質」だと著者は言っています。

もし容疑者が反省の言葉を述べたとしたら、疑わないといけません。
多くの場合、自分の罪を軽くしたいという意識が働いているか、ただ上辺だけの表面的な反省の言葉を述べているにすぎません。
そのように考えると、犯罪を起こした直後に反省の言葉を繰り返す犯人(容疑者)は反省の言葉を述べない犯人よりも「より悪質」という見方ができます。

反省すると犯罪者になりますより

先ほども書いていますが、世間の求める対応と矛盾していてキツイですね‥(^^;)

最近だと、某回転寿司で不衛生な行為をして炎上した少年がいました。
少年は日々反省していると彼の保護者(親)は言っていましたが、いざ回転寿司の運営会社が6000万円を超える賠償請求をすると、争う姿勢を示していました。
※この場合、少年は本当に反省していて「親」が抗議しているだけなのかもしれませんが‥

本当に反省していたら争う姿勢など示さず、どんな罰でも受け入れるよね?

書籍の例でも書かれていましたが、裁判で土下座までして許しを乞うた被告が無期懲役の刑に納得できずに控訴したケースが紹介されていました。
人間の心理として「他責・言い訳・保身」が先にくるので当然ですが、反省はしていないですよね‥(^^;)
余談ですが‥書籍には例外も書いてあって、弁明する自分自身が許せない(カッコ悪い)という信念を持っている人もいるそうです。
この場合は判決を受け入れてる確率が高いですが、反省とは違う。

すぐに反省するのが「悪」なら、なぜ世間はすぐに反省を求めるんでしょうね?

「人は悪いことをしたら反省することが当たり前」という考えが刷り込まれているからだと著者は言います。

犯罪等で悪いことをしているのに反省していない→ネタになるのでメディアは「許せない奴」と記事を打つ→読み手も「けしからん!」と興味を持つようになる→記事やTVで情報を得ようとする人が増える→視聴率・Web雑誌の売上アップ、広告料がメディアに入る‥という仕組み。

いわゆるメディアの利益のために踊らされている‥ということだね

あと、書籍には書かれていませんが、反省文や反省の言葉は「公言したことを守ろうとする人間の性質」を利用している可能性もあります。
自制するために あえてやる人もいる。ダイエットを成功させたいとか、禁酒したいとか。

前の方でも書いていますが‥「反省の言葉はいらないので弁償だけしてもらう」または「事実と証拠だけを加味して、粛々と判決を下す」のが1番いい方法ですね(^^;)

自分も相手に対して、謝罪を求めないように気を付けようと思いました。
被害に遭ったもの(人)への弁償だけ請求して。

再犯しないために、まずは彼らの「本音」を吐き出させることから

犯罪を起こした場合、再犯防止の対策はどうすればいいか?
※仕事上のミス再発防止などでも参考になるかもしれません

書籍では子供の「いじめ」が例として紹介されていました。

・いじめの再犯防止のため
先にやるのは、いじめた子に「いじめられた子の気持ち」を考えさせること(反省)ではない
いじめた子に自分の気持ち」を考えさせることから始まる
・たとえば、人に頼ったり、甘えたりするのが許されない家庭で育った子の場合
・当然のように人に頼ったり、甘えたりする人間が許せなくなり、いじめに発展する
・本来、人に頼ったり、甘えたりするのは普通のことなのに(ただし限度はあるが‥)
いじめた子が自分が「なぜ、いじめをしたのか?」自分で深堀できていないと再犯する恐れがある

上記の例で「なぜ、いじめをしたのか?」を深堀した例↓
・ストレスが溜まっていたからです、申し訳ありません×
・本当は人に頼りたい(甘えたい)のに甘えられないから、ストレスが溜まっていた
・当然のように人に頼ったり、甘えたりする人が羨ましい、ズルい

この解決策としては「人に甘えてはいけない」という価値観を変えれば、再犯の可能性が減ることがわかる。
ストレスが溜まっていたことしか理解していなかったら、意味のない対策を取ることになる→遊んだり、休めばストレスは減るだろう‥など

使い古された言葉だけど、「自分の心の痛みに気づかないと、他人の心の痛みにも気づかない」よね

よほどの「学」がない限り、人間は自分が経験したことしか理解できないですしね

なので再犯防止のために、最初は犯罪者に被害者の気持ちを考えさせるのではなく、犯罪者に自分の気持ちを考えさせることから始めよう‥と著者は言っています。
自分の心の痛みを理解できて、やっと被害者の心の痛みを理解できる。このときから本当の反省ができる。

ただし、犯罪者の心の痛みを深堀するには支援者の存在が不可欠だという話もされていました。
いわゆる本人は「過去のトラウマ」を直視するわけですから、1人で行うのは厳しい。

あと、「謝罪」は犯罪者が自分の罪を軽くするためと著者は言っていますが‥。
それと同時に個人的に思ったのが、被害者を癒すような効果もあるんじゃないかと個人的には思っています。
犯罪者の再犯防止の観点からは良くないんですが‥。
犯罪者が反省していない→被害者(遺族ふくむ)はずっと犯罪者を許すことができない→人を恨み続けるのは苦しい・・という考えからです。
もちろん、謝罪だけでは許されない場合も多いと思いますが‥。

映画「ショーシャンクの空に」で自分の内面と向き合わない反省に意味があるのか?考えさせられる

余談ですが、有名な映画「ショーシャンクの空に」での受刑者と面接官とのやり取りを思い出しました。
※以下、長くなるのでセリフを簡略に書いています(原文のままではない)

受刑者の仮釈放の面接で、
面接官:「あなたは自分が更生したと思いますか?」
受刑者:「ええ、もちろん、神に誓って生まれ変わりました」
・・みたいに言うシーンがあるのですが、このときの受刑者は仮釈放されたいがために演技をしているのが面接官に見抜かれています
当然、仮釈放は認められません。

3回目の仮釈放の面接でも同じ質問がされます。
面接官:「あなたは自分が更生したと思いますか?」
受刑者:「更生なんてただの言葉にすぎない、もう取返しはつかない、後悔しない日など1日もない、書類に不可の判を押してくれ」
・・というようなことを受刑者は言いました。
結果、仮釈放が認められる。

なぜ、受刑者は仮釈放を認められたのでしょうか?

ある考察サイトによると‥

本当の意味で自分の罪と向き合い、その後悔の念と共に生きていく覚悟をもったことが感じられたから
https://pathtooasis.com/shawshank-red-parole-why/

おあししこみちより引用

・・と言っています。

つまり、前述しているように本当に反省していたら(再犯の可能性が低いなら)量刑を受け入れる‥とも取れるね

ただ上記の考えが広まると、今度は自分の罪を軽くしたいがために量刑を受け入れるフリをする場合も出てくるとは思いますが‥(^^;)

「ショーシャンクの空に」は、自分の内面と向き合わない反省は本当に必要なのだろうか?と、考えさせられるいい映画ですね(^^)
観るように推してくれた知り合いに感謝です。

仕事上のミスでの「なぜなぜ分析」は有効だが、心理的安全がないと意味がない

会社の仕事でミスが起きると、「なぜ、ミスが起きたのか?」自己分析させる会社も多いと思います。

別の書籍ですが‥「看護師から患者への投薬ミスを減らすにはどうすればいいか?」の話が書かれていました。

投薬ミスが起きるのは なぜか?→集中できていないせい?→なぜ、集中できないのか?→投薬中に医師や同僚に話かけられるから→投薬中の看護師に話かけるを全面的に禁止→投薬ミスが減る
・・というような話が書かれていました。
ちなみに投薬中か、そうでないかを周りの人が判断するために投薬中の看護師には、目立つ色の専用ゼッケンを装着してもらうそうです。

上記の「なぜなぜ分析」は簡略文章にすると冷たい感じですが、心理的安全が確保された状況だと看護師が本音を語ってくれるので原因究明&対策→成功につながりやすい。
※心理的安全とはミスしても責められたり、不当な扱いを受けない環境のこと(周りの人と信頼関係ができている状態)

逆に心理的安全が確保されていない状況だと、隠ぺい&ミスした本人の反省のみ(ミスの原因がわからない)だから再発もしやすい

たとえ、決められた手順で作業をしていなかったのが原因(本人が悪い?)だとしても、「なぜなぜ分析」で根っこの問題が判明する場合もありますしね。
例:達成不可能なノルマを課された→ノルマを達成するために決められた手順を破らざるを得なかったなど

この例だと、心理的安全が確保されていれば上司に相談もできたはずですがね‥(^^;)

我慢強い人は心が強いわけではなく、「痛みに鈍くなっている」可能性がある

書籍では、大学生のI君が他の大学生にヒドイことを言った話が紹介されていました。

・大学生のI君と男子大学生2人で金を賭けてトランプのポーカーをする
・1人の大学生が大負けして、負けた金額は数十万円
・大負けした学生は許しを乞うが、I君は大負けした学生に厳しく詰め寄る
・後日、そのことが大学側で発覚し、I君は処罰(反省文&停学)を受ける
・停学処分に納得のいかないI君は「賭けをしたことは悪いが、自分はヒドイことを言ったつもりはない」と反省文の内容を撤回した
・ある教員はI君を「即刻退学にすべき」と言う
・著者がI君に聞き取り面接を行うと、「ヒドイことを言ったつもりはない」と言った原因が見えてくる
I君は普段から父親にひどい言葉をかけられていた
・テストで80点や90点をとっても100点じゃないからと小馬鹿にされていた
I君は耐えることが当たり前になっていた(馬鹿にされることに何も感じなくなっていた)
・I君は父親に馬鹿にされ続けていたので、傷つく言葉の基準が他の人より かなり高くなっていた

The・毒親&言葉の暴力の連鎖‥って感じで読んでいてキツイ内容でした‥(^^;)

しかし、著者はすべて正直に話してくれたI君は好青年に映ったと言います。
著者はI君に信用されているということですね。

・耐えることが当たり前になっていた(馬鹿にされることに何も感じなくなっていた)
・傷つく言葉の基準が他の人より かなり高くなっていた

このことを著者はI君に伝えると、「今すぐには自分の考えを変えられないが、気を付けないといけないことが分かった」とI君は納得したそうです。

親が毒になるいい例だな‥
著者に出会わなければ、I君はどぅなっていただろうか‥

著者には父親が原因であることに気づいてもらえましたが、他の教員はI君の性格上の問題だと思っている節がありますしね

他人には見えないハンデが多すぎる。

自身もよく引用しますが、加藤諦三氏の書籍で海に投げ出された子供(A・B)の例が紹介されています。
・Aは親から泳ぎ方を教わっているから上手に泳げる
・周囲の人はAを「えらい!」と褒める
Bは親から泳ぎ方を教わらないまま海に投げ出されて、必死に泳いでいる
・すると周囲の人々は、Bに泳ぎが下手で「ダメなヤツ」というレッテルを貼る
・本当に えらい子はどちらだろうか?
・・という内容です。

短距離走に例えるなら、どこに生まれるかでスタートラインにも差が出る。
同じトラックで競争する場合、一方は100m走、もう一方は200m走、別の誰かは1000m走をしているかもしれません。
そして この距離の違いは本人や競争相手、周囲の人にも見えていないことがあります。
なので、最終的に自分が走った「距離」で自分の人生を評価せよと加藤氏は言います。

「日本という恵まれた国に生まれた時点でガチャ成功じゃん?」‥と言う方もいますが、いくら途上国と比べて恵まれていても周囲の人(日本人同士)と比べて劣っていることを見せつけられるのはツライです。
他の家庭は一切見えない状況で、狭い空間の中で生きている場合はまだマシですが、日本人なら学校や仕事、交友関係があるので狭い空間で生きるのは不可能。

ちょっと違いますが、似たようなことを言っている人がいました。
「なぜ、異性と関わらずに孤独で生きられるの?」
「カツ丼食ったことがない奴がカツ丼なしでは生きていけないと言わない」
(異性と過ごす楽しさを知らなければ、異性なしでは生きていけないと言わない)

本当にコレなんですよね。

他にも、みんなで損をするのは耐えられるけど、自分だけ損をするのは耐えられないという内容が書かれた書籍があります↓

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親ガチャに失敗した人に「相手に迷惑をかけたこと」を考えさせるのは酷なのか?

非行少年や受刑者の大半は不遇な環境の中で生きてきています。
暴力を受けたり、養育を放棄されたりして虐待を受けていたものも少なくありません。
そうした非行少年や受刑者に対して迷惑かけたことを中心に考えさせることは酷なことではないでしょうか?
(中略)
自分の心の傷に気づいていない受刑者が被害者の心の痛みなど理解できるはずがありません
(中略)
自分の心の痛みを理解し、それを吐き出して初めて被害者の痛みが心から理解できるようになっていくのです、その逆はあり得ません。

反省させると犯罪者になりますより

加害者はある意味で被害者でもある‥と語られています。

こうやって「共感障害」になっていくんだなぁと、またまた身に覚えがありすぎて中々キツイ内容でした。

厳しいの承知だけど‥不遇な環境にいたからって、いつまでも「かわいそうな自分」でいることも良くないよね?

今度は「かわいそうな自分」=「周囲から同情されるべき存在」に自分で陥る危険もあるので、この辺は難しいですね。
かわいそうな自分を受け入れる→なぜなぜ分析→対策と試行錯誤→周囲(普通以上の家庭生まれ)の無理解と戦う→解決‥というルートをたどれる人はどのくらいいるだろうか?

個人的に思うのは、解決できるのは奇跡に近いのだから やる気あるときに頑張って、休みながらノンビリやればいいんじゃないの?とは思います。
解決できなくても自分を責めないことの方が重要。

犯罪者が再犯してしまう理由の1つに「孤立」が関係している?

書籍には、あくまで「仮説」であると断った上で こんな事が書かれていました。

・被害者の心情を理解させること=自分がいかに社会的に非難されることをしたかを理解させること
・自己肯定感が低くなる
・(殺人の場合)被害者の心情を理解できれば、自分だけ生きていていいのか?と自分を責める
・その状態で生き続けるのは苦しいはずである
社会での生きづらさを増加させる事につながっている
自己イメージを低くしていくと、社会に出てから他者との関わりを避け、孤立していく
・殺人という行為に対して人は心理的抵抗を持つはずですが、2回目の時は初めての時に比べ、その抵抗が著しく低くなっている

「自分がいかに社会的に非難されることをしたかを理解させること」
「自分だけ生きていていいのか?と自分を責める」

何回も書いていますが、本人に罰を与える(苦しめる)だけならいいでしょうが、再犯という観点から見るとよろしくないですよね。
「殺人をした者は死刑でよくね?」という意見もありますが、背景的に同情せざるを得ない場合もある(自分が犯人と似た状況なら同じことをしていたかも?)。
かといって自分が被害者になりたくないという思いもあるので、私には判断できません。

「再犯によって」次は自分や自分の家族が被害者になったら無念すぎるしね

世の「無敵の人(失うものがない人)」が、どういう事をしてきたかを考えると‥

「自分だけ生きていていいのか?と自分を責める」
余談ですが‥私の好きなゲームのストーリーに主人公がやむを得ない状況(正当防衛)で大量殺人をしてしまい、のちに自分(主人公)を罵って殺そうとする人間に必死で抵抗するシーンがあります。

主人公:「死ぬわけにはいかない、たくさん殺して生きたのだから。自殺するならとっくにしている」

こう思える強い人ばかりではないし、何かの拍子に死への抵抗が少なくなることも十分にあり得るんだなと思いました。

「罪を犯した自分が幸せになっていいのか?」の問いにどう答えるか

「皮肉なことに幸せを感じれば感じるほど、それに伴って苦しみも強いものになっていきます」

愛読していた私屋カヲル先生のマンガ「こどものじかん」でも似たようなことが書かれていました。

・教師いじめをしたヒロイン、九重りん
・後任の教師・主人公によって、りんは改心する
・今度はりんが別の男の子からいじめられる
・りんは「自分は悪いことをしたのだから犠牲になっても仕方ない」と(別件で)言っていた
・このことから、いじめた側の子は必ず罪悪感が残る
・だから罪は罪で反省して、不当な扱いには全力で抵抗しろと主人公からアドバイスされる
・のちに、男の子のいじめは好きな娘をからかっていただけだとわかる

「こどものじかん」はアダルトチルドレンや共依存、PTSD(トラウマ)の心理を考える上で大変参考になりますが、かなりのロリ〇ン漫画なので万人にはオススメはできません(^^;)↓

超個人的な意見ですが‥「罪を犯した自分が幸せになっていいのか?」という問いには、再犯してまた人を殺すよりはマシと思うようにしています。
もし、私が被害者側の立場ならスグに この考えには至らないにしても、時間をかけてでも たどり着きたい考えです。

では、孤立せずに幸せになるにはどうしたらいいのか?

ありきたりかもしれませんが‥人の役に立つことをする
元・受刑者が現・受刑者を支援(ケア)することによって、生きている意味を実感できると著者は言っています。
※犯した罪は消えないので、「罪」と「自分が生きる意味」とを葛藤しながらにはなりますが‥

たとえば、子供のころに虐待を受けていた受刑者に「共感」してあげられるのは、同じ傷を負った者だけです。
失礼な言い方になってしまいますが、個人的には この書籍の著者(おそらく普通~裕福な家庭生まれ)でも本当の共感はできないと思っています。
色んな受刑者と面接したり、勉強はされていると思いますが‥真の共感は同じ体験をした者のみです。

こちらの書籍にも富裕層は貧困層の気持ちを理解することはできないと言われていました。
お金→時間に例えることで理解が深まる程度↓

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なので、現・受刑者を本当の意味でケアできるのは、元・受刑者だけ。
これが元・受刑者の生きがいになる。
そして、出所後に受刑者が再犯する確率を減らせるという世間にとってもメリットがある。

イジメは子供の頃に刷り込まれた「価値観」から?

※イジメも犯罪の1つだと思っているので、「イジメ=犯罪」として書かせてもらいます

子供のころに刷り込まれた価値観と真逆なことをする人をみると不快になる‥と著者は言っています。
例えば、
・我慢しろ!
・1人で頑張れ!
・弱音を吐くな!
・人に迷惑かけるな!
と言われて育ってきた子たちは‥

・我慢しなくてはならない
・1人で頑張らなくてはならない
・弱音を吐いてはいけない
・人に迷惑をかけてはいけない
・・という価値観が刷り込まれています。
自分がもし、イジメを受けた場合、我慢できないし、弱音も吐きたいし、誰かに頼りたいのに、それが出来なくなる。
大きな見方をすると「人とつながること」を邪魔し、モノ(アルコール・薬物・ギャンブル・セックスなど)へ依存していくことになると書かれています。

だから、自分自身がどういった価値観を持っているかに気付いておく必要があると著者は言っています。
自分の価値感を探る1つの方法として‥

自分が他者のどういった言動に対して不快感や嫉妬といった感情を抱くかが判断材料になります。
(中略)
自分は他者に対して不快な感情を抱くということは、自分の心の中に不快感をもたらす価値観が強く根付いているからです。
自分のなかに、正しいと思って刷り込まれた価値観が多ければ多いほど、他者に対して「許せない部分」が増えてきます。
そうすると他者との間で良い人間関係が築けないどころか、いじめにまで発展していく場合があるのです。

反省させると犯罪者になりますより

先ほどの例だと‥
・我慢することが当たり前→我慢できない人が許せない
・1人で頑張ることが当たり前→すぐに諦めてしまう人や他者に頼る人を見るとイライラする
・弱音を吐かないことが当たり前→弱音を吐く人が許せない
・人に迷惑をかけないのが当たり前→人に甘えて迷惑をかける人を見ると腹が立ってくる
・・となります。

ここで大切なことは、自分にとって良好な人間関係を取るうえで不都合な価値観があることに気づいた場合、それに気づいたことだけでも とりあえず「よし」と考えることです。

反省させると犯罪者になりますより

自分の中に根付いた価値観はそう簡単には変えられないので、「自分の中に こういう価値観がある」と気づくことができれば、少しずつでも変われると著者は言います。

これは体験談的にも当たっていますね。
「今なぜ、こういう感情になったのか?」を何度も言語化する(文章化する)ことで私の場合は直っていったので。

大人になるとよく陥る「ミスや失敗した人を叩きたい」感覚は、間違いは絶対に許されないという価値観が刷り込まれているのかもしれません

ミスや失敗を許容しないなら、慣れたことしかできなくなるし、よろしくないね

【閲覧注意!】イジメた子の気持ちを考えるプログラム

※イジメられたことがある人にとっては、吐き気がする内容かもしれないので閲覧注意です

もう何度も書いていますが‥
イジメ再発防止のために、「イジメた子」に「イジメられた子」の気持ちを考えさせる更生プログラムがありますが、これは効果がないと著者は言います。

著者は一貫して再犯防止には「反省させること」に意味がないと言っているからね

そこで、イジメた子に「なぜ、イジメてしまったのか?」を深堀させる例が紹介されています。
※イジメたことがある子だけを集めて、イジメをしてしまう心理を皆で考えさせます

書籍でも引用されている少年ジャンプ「ジャンプいじめリポート」より↓
※わかりやすくするために原文のままではなく、箇条書きにしています

例1・14歳女性Aさん
・Aは部活内で中心的な存在だった
・部活内でTさんをイジメた(主に精神的なイジメ)
・Tさんはお調子者で目立った存在
・最初は嫌じゃなかったが、「なぜか」大嫌いになった
・Aのシカトが同級生や先輩へと伝染していった
・まもなくTさんは部活をやめた
・つぎにイジメたのはIさん
・IさんとTさんは仲が良かった
・しかし、IさんはAの前ではTさんの悪口を言っていた
・つまり、Iさんは人によって態度をコロコロと変えていた
・結局、IさんもAたちのシカトで部活をやめていった
・他にも何人かの子を精神的にイジメた
イジメているときは特に悪いと思ったことはない
かといって楽しいと思っているわけでもない

この例から分かるのは、Aが「調子のいいタイプ」「目立った存在」「人によってコロコロ態度を変える人」に嫌悪感があることが分かる。

他者と上手く付き合える人に対する嫉妬心がある

その人をいじめたくなる

内面的には、誰かと しっかりとした繋がりを感じられないことによる恐怖心がある

そういった人ほど他者に嫌われまいとして、人の目を気にして常に不安を感じる

本当は自分も調子が良くて、目立った存在でありたい

これらを明らかにできれば成功と書かれています。

他者に対して得体のしれない不快感・嫌悪感が沸き上がったら、こういう思考をしている可能性が高い・・と分かれば対策も取れますからね

そして、最後に「イジメられた子」の気持ちを考えさせれば、イジメに対する理解は深まる。

・子供時代に子供っぽさを出せた人は、大人になっても素直な感情を出せる人になれる
・子供時代に大人らしさを無理して出てきた人は、大人になっても素直な感情を出せる人にはなれない
・問題行動を起こす人は、ありのままの自分ではいけないというメッセージをたくさんもらった人
・ありのままの自分を出す→他者から拒絶される→怖い

前述している加藤諦三氏の書籍でも書かれていましたが、周りにいる人間(特に親)によって、ここまで悪影響が出るのかと‥。
刷り込まれた価値観を変えるには「別の価値観を持った人が周りにいて」「聞き入れる素直な自分」が必要ですが、これも奇跡に近い。自分も何年も苦労したので‥(^^;)

もし、自分が子にアドバイスするなら、自分(親)の価値観は絶対じゃないから色んな人の意見を取り入れなさい‥と言うかな?

自分(親)が子の毒になって苦しめても、周りの第三者が子を助けてくれるかもしれないですしね

この内容も前述しているマンガ「こどものじかん」に書かれていました。

書籍を読んで個人的に疑問に思ったこと

①子にとって両親が仲良しでないとダメ(解決策が思い浮かばない)
②親に子供っぽさ(素直さ)を出させることが重要
③人から愛されることが大事

この3つの著者の意見に疑問を持ちました。

①子にとって両親が仲良しでないとダメという考え(解決策が思い浮かばない)

例えば、雰囲気の悪い家庭→雰囲気の悪い職場でイメージすると、そこの従業員にストレスが溜まるのは分かります。

うちの家庭の例で恐縮ですが、両親の仲が悪い原因が「お金」にある場合はどうしたらいいのでしょうか?
お金や時間が欠乏すると、常にイライラしたり、処理能力が落ちる(知的障害の境目まで知能が落ちる)ことが様々な実験で証明されています。

現在の手取りが減っている日本の状態で「お金」を増やすことは難しいですし、金がないと当然、時間もなくなります(たくさん働かなくてはならないため)。

パッと思いつく解決策が、「子供のために仮面夫婦を演じる」「そもそも結婚しない、または子を持たない」なのですが、果たしてコレが正解でいいのでしょうか?

そもそも両親だって好きでケンカしているわけじゃないと思うのですが‥できれば仲良く暮らしたいですよね。
上記の考えから少子化が進んでいるような気がしてならない(もちろん、別の要因もありますが)。
この辺の考えのズレから、著者は「裕福な家庭」か「普通の家庭」生まれなのかな?と思いました。

著者も受刑者の気持ちが分からず(キレイごとだと言われたらしい)落ち込んだと書かれていました。
「共感」という点では似たような環境で育った人にしか その人の気持ちを真に理解することはできないんですよね。
私だって大富豪の元に生まれて両親の愛に包まれて育った人の気持ちは(書籍や動画で知識としては知っていても)理解はできないですし。

ただ、心理学を専門に勉強した人の知識と富裕層の金銭支援も必要なことは理解しているので、ひとこと言いたかっただけです。
偉そうなことを言って すみません(^^;)

②親に子供っぽさ(素直さ)を出させることが重要?

大人の振る舞いをし続けることは抑圧することになります。
子供が大人の振る舞いをしていることは要注意として記しましたが、大人であっても同じです。
いい大人でいるための条件は、大人が子どもっぽさを出せる場があることです。

反省すると犯罪者になりますより

※大人が子供っぽさを出せる場=対象は人間‥で書かれているので、人間を前提に書いています

親が子供っぽさを出せる場
・どこで?誰に?→大体は立場の弱い子供に向かう
・子供っぽさ→思春期特有のわがまま・理不尽さ?

初めに言いますが‥「自分もまだまだ子供で間違えてばかりだ、何か違うと思うことがあれば指摘してくれ」と子供に言えるのは立派な大人(親)ですよ。子供っぽさではない。
さらに指摘されたことで怒らずに改善できれば、尊敬すべき人である。

書籍では親・大人が子供っぽさ(素直さ)を出すことが推奨されていますが、思春期特有のわがまま理不尽さを親が子供に出していいのでしょうか?

そんなことされたら、子供は大人の振る舞いをせざるを得ませんよね。
(これも経験者しかわからないことなので仕方ないですが‥)
加藤諦三氏の書籍では、思春期特有のわがまま・理不尽さは幼稚性と呼ばれています。
そして幼稚性は親から子、そのまた子へと連鎖する。
子供の頃に出せなかった幼稚性を子やパートナーに求めている。

わがまま・理不尽さを「多少」出される分には家族や親しい人も耐えられますが、永遠に続くなら受け止める人が先に潰れてしまいます。
解決策としては弱いかもしれませんが‥自分の負の経験を書籍や講演で発表し、同じ経験をした人の役に立った経験(感謝された経験)から幼稚性を改善していった人もいるようです。
人に与える→感謝される→生きている実感を得る→もっと与える→さらに感謝される→さらに生きている実感を得る→以下、無限ループ

なので、他者に子供っぽさを出すのは かなり難しい(理想論)と考えた方がいい。
大人の場合、力加減を間違えると相手を追い詰めることにもなる。
家族やパートナーを潰してでも子供っぽさ(幼稚性)を出したい・自分を助けてほしい場合は別ですがね‥。

前述している漫画こどものじかんにも書かれていましたが、子供のころから大人の振る舞いをして成長してしまった人は「誰かに与える→感謝される→生きがい」経験で癒された方がいい。
※誰かに与えるにも注意があって、自分が心から好きなこと・やりたいことでないと意味がない、人から見放されるのが怖いという理由だと癒される確率は低い
そこから出来る人間関係に、あなたを幸せにしてくれるヒントが隠されているのではないでしょうか?

③人から愛されることが大事?

書籍の最後の方では、著者による「愛」について語られています。

・人から愛されること(愛すること)
・人とつながること
・誰もが寂しさや弱さを持っている

人にとって愛が大事なのは理解できますが‥必ずしも「人」に対する愛が必要なのかなと違和感がありました。
※ただし自分の思考のクセかもしれないので、断言はできません
自分が本当に夢中になれる大好きなものがあればいいのでは?と。

例えば、私はお気に入りのマンガ読むのが大好きだし、お気に入りのゲームしている時間(ゲーム実況プレイを見ている時間を含む)も死ぬほど楽しい。生きがいと言ってもいいかもしれません。

この死ぬほど好き・楽しいは直接「人」に対して感じたことないんですよね。
だから、人に愛されることと言われてもピンと来ない。
ただ、マンガもゲームも「人」が作り出したものなので間接的には もちろん感謝しています。

自分がマンガやゲームを愛する感覚=一般の人が他者を愛するという感覚‥と考えてようやく理解できる。
この考えができれば、他者が大事にしている別のものを共感しつつ、同じく大事に扱うこともできるので大切な感覚なのかな?とぼんやり考えています。

他者への価値観の押し付けも減らせるし、一石二鳥かなと

なので、人ではなく別の何かへの愛が理解できれば、人への愛も理解できるんじゃないかという自論です。
※注意として、本当は仕事が好きではないのに仕事が好きだと思い込むことで逃げるようなのは✖

まとめ:キレイごとも多いが生きづらさを抱えている人にとっては有益な情報も多い書籍

・ミスや犯罪をしてしまった時、器用な人以外は反省は無意味
・世間の納得>再犯防止で本当にいいのか?
・暴言や暴力が当たり前の環境にいた人は痛みに鈍くなっている可能性がある
・罪を犯した自分が幸せになっていいのか?問題
・幼少期に刷り込まれた価値観を疑え
・真の共感ができるのは同じ経験をした者だけ

書籍の最後の方はキレイごとが多いな‥と思いましたが、生きづらさを抱えている者にとって有益な内容も多い印象でした。

自身は過去に生きづらさを抱えて生きていましたが、親から物理的な距離を取ることで改善できましたし、根っこの問題さえどうにかできれば解決できる可能性が高まります(もちろん100%解決できるわけではない)。

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