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歴史好きにオススメの書籍?【砂糖の世界史レビュー】

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SNSでオススメされていた書籍を読んでみました。
「砂糖の世界史」という書籍で、おもに中学や高校で習う世界史の用語が頻出してるので、歴史が得意だった人は楽しく読めると思います。

加えて、いまは安価で手に入る砂糖が どのように発展し、中学や高校で習った世界史と どう繋がっているのか?が紹介されています。
Amazonでも1000以上のレビューが付いていて評価は4.5と好評のようです。

歴史が苦手な人には少し退屈かもしれませんが、内容は やさしいと思います

倭寇(わこう・海賊のこと)やらヴァスコ・ダ・ガマ、喜望峰とか懐かしい単語がたくさん出てたね

特に面白かった部分や気になった部分をネタバレありで紹介します。

この書籍で紹介すること

・主に書籍で取り扱われてる時代と地域について
・昔の砂糖は どのような扱いを受けていたのか?
・砂糖の生産と奴隷の関係
・当時の日本の砂糖生産は どうだったのか?
・令和時代の砂糖の立ち位置について

目次

書籍で取り扱われてる時代と砂糖が生産された地域について

時代:1600年代~現在まで
砂糖の生産地域:カリブ海~北大西洋周辺の島(近くにはメキシコ・ドミニカ共和国・ベネゼエラがある)
※日本でも やや遅くに砂糖の生産が行われましたが、書籍で主に取り上げられているのはカリブ海周辺の砂糖プランテーションの話です

この砂糖プランテーションは主にヨーロッパ諸国の植民地でした。つまりヨーロッパ人がカリブ海周辺の地域に奴隷を連れてきて砂糖を作らせていたというもの(詳しくは後述)。

赤道近くの暖かい地域(熱帯)って感じだね
砂糖=サトウキビだから当然か・・日本でもサトウキビがあるのは沖縄だしね

この海域は昔、海賊とかがいっぱいいたそうですね

余談ですが・・1983年のドラえもん映画「ドラえもん のび太の海底鬼岩城」の舞台となった海域ですね。
この記事の執筆者はリアルタイムでは映画を観てなかったですが、レンタルビデオと漫画で読みました(^^)
バミューダ・トライアングルの謎が印象に残っています。

「バミューダ・トライアングル」はフロリダ州マイアミ、バミューダ諸島、プエルトリコを結んだ三角形の海域だ。誰も統計を取っていないが、過去100年間に、多くの船や航空機がこの三角形の中で跡形もなく消えている
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/051100232/

魔のバミューダ・トライアングル、伝説の誕生と消失の謎を追うより

海底に宝を積んだ船(海賊たちの船)や航空機が沈んでいるとか幽霊が出るとか、ドラえもん映画以外にも色んなフィクション作品で取り扱われてますね。

昔は砂糖は どのような扱いだったか?

・貴重で高価なもの
・神聖なもの(儀礼などに用いられた)
・薬品

純白な白色という点から儀礼などに用いられたようです。
供給量が少なくて めずらしかったので砂糖は高価あり、栄養不足が慢性化していた時代では砂糖はカロリー摂取の薬品的な立ち位置にもあったそう。

昔は色んな病気や伝染病が流行っていたけど、神頼み的に(?)砂糖にたよるしか手段がなかった感じかね

JINという江戸時代へのタイムスリップ漫画でも主人公の医者が、はしか・コレラで脱水症状になった患者に塩・砂糖・水を混ぜた経口補水液的なものを飲ませてましたね
病状によっては砂糖は多少の効果が あるのかもしれません

※経口補水液は体内に すばやく水分を行き渡らせることができるので、脱水になった人に飲ませたりするそうです

砂糖は高価なものだったので、本当の金持ち(貴族や商人)しか口にできなかったそう。
そのうちに中国などアジアから来た茶が流行。こちらも出始めは高価なものだったらしい。
イギリスの貴族たちは高価な茶に高価な砂糖を入れて飲み、財力や権力のシンボルとしたと書かれていました。
これがイギリスに「紅茶」が定着した理由。

砂糖の生産と奴隷の関係

歴史的にみても白人が黒人を奴隷化した話は有名ですが、この書籍でも生々しく描かれていました。

以下、書かれていた内容の概要↓

・カリブ海の砂糖プランテーションに奴隷として連れてこられた黒人のエキノアという人物の自伝
・エキノアは奴隷狩りによってアフリカから連れ去られた
・カリブ海の砂糖植民地や北アメリカでの奴隷生活を経験した後、イギリスで自伝を書いたエキノア
・エキノアは10歳前後でヨーロッパ人から与えられた鉄砲を持つ沿岸部の黒人王国の人々によって、奴隷狩りの対象とされた
・エキノアのような奴隷にとって最も悲惨な体験はアフリカから大西洋を越えて、ジャマイカやバルバドスに運ばれる時の航海そのものだった
・中間航路と呼ばれた この航海では奴隷商人たちは可能な限りギッシリと奴隷を積み込み、飲み水も十分には用意しなかった
・航海の途中で脱水症状を起こしたり、伝染病にかかったりして亡くなる奴隷が後を絶たなかった
・アフリカ大陸が見えなくなると、不安のため海に飛び込んで自殺してしまう奴隷も少なくなかった
・カリブ海に着いた奴隷たちは競り市にかけられ、バラバラにプランターの下に売られていった
・そこでもまたアフリカにはなかった新しい病気があり、新しい気候条件や生活環境が待っていた
・過酷な労働が待っていたことは言うまでもない
・せっかくカリブ海の島の浜辺までたどり着いた奴隷のうち数十%の者が、現地慣れの期間に亡くなってしまった
・16世紀から17世紀にかけて、カリブ海やブラジル、アメリカ合衆国の南部などに運んだ黒人奴隷は最低でも1000万人以上と推計されている
・中でもポルトガル人とイギリス人とフランス人が、この非人道的な商業を熱心に展開した
・イギリスのリバプールを出発した奴隷貿易船は奴隷と交換するために、アフリカの黒人国王が求める鉄砲やガラス玉、綿織物などを持って行った
・それらを西アフリカで奴隷と交換した
・ついで獲得した奴隷を悲劇の中間航路に沿って輸送し、南北アメリカやカリブ海域で売り、砂糖や綿花を獲得して、母国のリバーブルに帰る
・このひとつづきの貿易を歴史家は三角貿易と呼んでいた
働き盛りの青年を中心に多くの人々(奴隷)が連れ去られたため、アフリカ社会は発展の力を全く削がれてしまった
アフリカの国々が現在に至るまで発展途上の状態にある歴史的理由の1つ

令和の現在は大分マシになってるでしょうけど、アフリカが貧しい理由がヨーロッパの国々にあるから、たくさん支援してる感じなんでしょうかね?

学生のころの社会科の先生がいうには、書籍で取り上げられてる時代より前はアフリカなどの赤道に近い国は暖かく、食べ物も豊富で豊かだったと聞きます。
たいして、ヨーロッパは冬は寒く、食べ物にも困って貧しかったらしい。
だからアフリカや赤道付近のアジアの国々を略奪(植民地化)する考えに至った・・という話をぼんやりと聞きました。
後のドイツ・イタリア・日本からの第一・第二次世界大戦もそうですが、追い詰められると無敵の人になる本質は昔から変わらないってことですかね(^^;

それにしてもアフリカの国王が財源や物資のために国民を売ったのか・・
奴隷=非人間扱いも中々酷いな。令和でもペット業界(悪質ブリーダー)がこういうことをやってるという話だけど

そういえば三角貿易って学生のころ習いましたね。アヘン戦争のあたりだったかな?

イギリスから独立する前のアメリカの話

17~18世紀ころ、アメリカはイギリスの植民地だったそうです。
※当時はアメリカという名前ではなかったが
アメリカにはイギリスの貴族が暮らしており、彼らはイギリス人らしい振る舞い(イギリスの流行を追いかける等)をしていたが、本国イギリスと対立し、後に「アメリカ」としてイギリスから独立する。

イギリス本国とイギリスの植民地であったアメリカが対立するに至った話が印象に残っているので紹介します。

・18世紀にイギリスとフランスは七年戦争という戦いをしていた
・イギリスが勝利をおさめたが、イギリスは戦費がかさんで借金が残った
・国が借金をすると税金を上げざるを得なくて、国民の不満が募る
・フランスとの戦い以前にもイギリスは たくさんの戦争をして、お金がなかった
・ちなみに七年戦争の戦地はアメリカ(植民地)だったそうです
・困り果てたイギリス政府は七年戦争は先住民と手を結んだフランス軍との戦いであり、「アメリカ(植民地)の防衛のための戦争でもあった」と主張
・つまりイギリス政府はアメリカ(植民地)の人々が費用を負担すべきだという
・1765年にイギリスは植民地に対して印紙税(印紙法)をかけることを一方的に宣言した
・印紙税とは消費税のようなもので、あらゆる物品の取引にかけられる税金のこと
・これに対して植民地の人々は至る所で抗議集会を開き、暴動を起こし、イギリスからの輸入品をボイコットした
・つまり植民地の人々はイギリスの流行を追いかけるのをやめた
・植民地で作った衣服を身につけ、植民地の食べ物を食べ、イギリスから来る紅茶などは飲まないことにしようという運動が始まった
・イギリス製品への不買運動は大成功しアメリカ向けの輸出が止まってしまったため、根を上げたイギリスは印紙法を廃止することになる
・しかし、相変わらずイギリス政府の財政難は続いていたので1767年に再び植民地に輸出される紙、ペンキ、ガラス、茶などに税金をかける法令を施行した
・これらの法律にも植民地の人々は猛烈に反発し、またもやボイコットを始めた
・植民地の住民には本国の議会に議員送り込むことが許されていないのに、そのイギリス議会が勝手に植民地に課税することは認められないというのが植民地側の言い分だった
・植民地の反発に恐れをなしたイギリス政府は再び譲歩し、「茶」以外の税金は全て廃止した
・イギリスから持ち込む茶は税金がかかっても植民地に密輸される茶よりは安いはずだから、アメリカ植民地の人々は税金を払ってでもイギリスの茶を買うだろうと見ていた
・しかし、植民地の人々は長いボイコットを経験するうちにイギリス人になることより、アメリカ人になることを望むようになっていた
・イギリスからの茶やイギリス製品を使わないことで、植民地の人々は連帯感を強めるようになっていった

税とはちょっと違うけど、令和の米騒動をみてるようだ
米の値段が急騰したせいで2026年現在は日本人の米離れが進んでいるよね

米の流通を管理する組織は日本人は米が主食だから、高くても買うだろうと読み違いをしていた点が似てますよね

植民地で暮らすイギリス人は砂糖プランテーションのオーナーだったり、奴隷や砂糖などの貿易商人などの金持ちだったと思いますが、課税には大反対だったんですね(^^;
まぁ課税額が どのくらいだったのか(高額だった?)も分からないですが。

あとは戦争をはやく終わらせる・降参の理由として、資金が枯渇するという理由もあるんですね。
一般国民の知らないところで偉い人たちが(戦争をやめるように)裏で交渉に励んでいるんでしょうけど。
逆に戦争がはじまると、戦争に関わっていない国で武器や防具、食料などの製造力がある企業(国)は儲かるらしいですね。
日本も過去に冷戦・朝鮮戦争で高度経済成長に向かったそうだし。

余談ですが・・前述してる漫画JINでは勝海舟と西郷隆盛の江戸無血開城の交渉が描かれていました。
幕府軍(勝海舟)と新政府軍(西郷隆盛)が争い、その隙をついて外国勢力に攻め込まれたらマズいと勝海舟と西郷隆盛のお互いが同意し、戦いをやめた例もありましたね。
西郷隆盛は強硬姿勢を取っていたそうですが、勝海舟と西郷隆盛の両者は日本をいい国にしたい・守りたいという思いは一致していたから交渉に成功したと。
優秀な交渉人の話はおもしろいですね(^^)

あと、(本国の?)イギリス人がカリブ海などで作った茶などを海中に捨てた事件があったそう。
「ボストン・ティー・パーティー事件」「ボストン茶隊事件」「茶党事件」などの名前がついている。
この出来事は植民地の人々の反イギリス感情をさらに掻き立て、アメリカ独立運動の徹底的なキッカケになったと言われています。

のちに独立したアメリカは当面の間、イギリス領のカリブ海植民地との貿易ができなくなった。
この貿易はアメリカにとって利益の大きい貿易だったので、イギリス政府はこれを禁止した。
しかし、イギリス領植民地はアメリカから食料を買っていたので、この貿易が止まったことでイギリス領植民地の方が大きな打撃を受けた。

言いづらいが・・イギリス政府って無能なの?殿様商売?感情的になりすぎ?
それくらいのことは予測できなかったんだろうかと

イギリスは階級社会だったと言いますし、偉い人が決めたことに反対意見を出せない雰囲気だったのかもしれませんね

べつの書籍で1989年の人頭税の話も読みましたが、イギリス政府どうなってるんですかね?(^^;
※人頭税(じんとうぜい)とは「一人あたり同額を課す地方税」のこと。つまり金持ちも貧乏も同じ税率になる→税額が高ければ貧乏な人は生活が苦しくなるので各地で暴動が起きて後に廃止されたそう

おまけにアメリカはそれならばと、フランス領の植民地(サン・ドマングまたはエスパニョラ島)との取引を盛んにした。サン・ドマング島ではサトウキビ栽培が盛んに行われていた。
アメリカとの取引のおかげでサン・ドマング島の開発が進み、イギリス領の砂糖植民地にとってはサン・ドマングはとても手強い競争相手となってしまった。
イギリスの政策は ことごとく失敗していますね(^^;アメリカに優秀な人がいたのか分かりませんが。

後にアメリカは、砂糖を使った飲料コカ・コーラの国になりますよね。

余談:コーヒーと紅茶の境目・飲み物としてのチョコレートの話

余談ですが・・イギリスでは過去に繁盛していたコーヒーハウスという喫茶店のようなものが廃れていった理由(予測)がフランスと比較して書かれていました。
※コーヒーハウスという名前ですが、外国貿易得た紅茶やコーヒーなど色んな飲料を扱っていたそう

おそらくフランスでは家庭に入っていきにくいコーヒーが主体だったために、カフェ(喫茶店)が存続したのではないか?→(インスタントコーヒーができる前なので)コーヒーを素人が一から入れるのは難しかったらしい
逆に紅茶を選んだイギリスは それが家庭でも簡単に入れられるものだっただけに、家庭内飲料となってしまい、コーヒーハウスが流行らなくなったのではないか?とのこと。

商売的なことを考えると、家庭レベルの紅茶の味やサービスしか出せなかった感じなのかね?コーヒーハウスは

当時の景気とかにもよるんでしょうけど、自分で作るよりプロが作った方が美味しいなら多少高くても飲みに行く人もいますしね

ほかにもコーヒーハウスは社交の場だったと書籍の中盤に書かれていましたが、そういう役割も果たせなくなったのでしょうかね?

続いてチョコレートの話。
チョコレート(カカオ豆+砂糖)は最初は飲み物だったようです。
1528年アステカ帝国を滅ぼしたスペイン人が自国にチョコレートを持ち帰った所から開発されたという説が描かれていました。
固形のチョコレートができあがるのは19世紀になってからだそうです。
・1820年代にオランダのヴァン・ホーテン社が粉末チョコレート(ココア)の製法で特許をとる
・1847年にイギリスで「カカオ+ココア+バター+砂糖」を加えて食べられる固形チョコレートができる
・1875年に上記のチョコレートに粉ミルクを混ぜてミルクチョコレートが完成する→現在のチョコレートのほぼ完成形

バンホーテンって、今でもココアで有名ですよね。子供のころはパック飲料のやつをよく飲んでいました。
こんなに古くからあるメーカーなんですね(^^)

同時期に日本では砂糖が作られていたのか?

日本に最初に砂糖が入ってきたのは中国の隋(ずい)からではないかと言われていますが、ハッキリしたことはわからないそうです。
日本が本格的に砂糖と付き合いだしたのは、ポルトガル人がもたらしたお菓子類からだそう。
国産のサトウキビの栽培が始まったのは江戸時代。
もっとも早く成功し、今日までサトウキビの生産が続いているのは奄美大島や沖縄(琉球)のもの。

江戸時代の島津(薩摩)藩が鹿児島から沖縄までを事実上支配していたので、日本最大級の砂糖生産地を抱えることになった。
当時、砂糖は高価だったので、砂糖生産を行うことで薩摩藩は莫大な利益を得ていたそうです。

書籍には、砂糖生産と売買をもとに幕府に対抗できるほどの財源があったと書かれているね
前の方で出てきた西郷隆盛は薩摩藩のトップだしね

薩長同盟前にも幕府と対立していた長州藩でしたが、後に長州藩と薩摩藩が手を組んで倒幕の流れになったそうですしね

※薩摩藩と長州藩も犬猿の仲だったそうですが(倒幕のために)坂本龍馬が両藩を仲介し、薩長同盟が結ばれることになる

前の方で話題に出したJINという漫画でも薩摩藩の財力で?最新式の鉄砲を海外から購入し、幕府との闘いを有利に進めていましたしね。
幕府に比べて薩摩・長州藩の兵力は少なかったようですが、薩摩・長州軍の圧勝となる。刀と銃なら遠距離攻撃が可能な銃の方が強いですしね(接近戦オンリーでもなければ)。

イギリス内で「砂糖生産を守りたい派」と「砂糖を庶民にも行き渡らせたい派」の対立

時代は18世紀後半のイギリス産業革命へと移ります。

産業革命時代のイギリスで庶民は農村を捨て、都会に仕事を求めて工場勤務をする人々が増えたそうです。
工場で働くには農作業のような時間にルーズではいけなかったので、特に手軽に朝食(カロリー)を取れる食物が必要だったと書かれています。

つまり紅茶に入れる砂糖(高カロリー)を庶民でも手軽に口にできるようにイギリス政府はしたかった。
ただし、外国産の砂糖に高い関税をかけて国産(カリブ海産)の砂糖を保護する法律があった。
いままで通りに国産の砂糖を保護したい「西インド諸島派」と、外国産砂糖への関税を撤廃して砂糖の価格を下げたい「マンチェスター派」という派閥に分かれていたそうです。

・関税を撤廃したいマンチェスター派は「奴隷貿易や奴隷制度への批判」という形をとった
・このやり方なら宗教的な立場から奴隷貿易や奴隷制度に反対している人達と一緒に戦うことができたから
・結果は1807年に奴隷貿易の廃止となってマンチェスター派が勝利
・1833年にはイギリス領植民地全域で奴隷制度そのものも廃止された
・奴隷制度が廃止されるとカリブ海のプランテーションは崩壊し、西インド諸島派も消滅した
・砂糖の特恵関税(とっけいかんぜい・イギリス領植民地に特に有利な関税)も1840年代に次々と引き下げられた
・外国産砂糖の関税は原価の倍ほどかけられていたのが1844年には30%に引き下げられ
・1852年にはイギリス領植民地の砂糖と外国産の砂糖の関税が同率とされた
・朝食を無税にというマンチェスター派のスローガンは見事に達成された

奴隷制度への倫理はともかくとして・・国産の砂糖は捨ててもよかった感じなんだろうか?イギリス
産業革命時期だから国の経済発展が最優先だった感じ?

日本でも結構話題になることが多いですが・・
日本人の主食である米を自国で作れなくなる(商売にならなくなり米農家をやめる人が増える)とヤバイみたいな雰囲気はありますよね

米だけではないですが・・自国で作ることをやめて、輸入品にばかり頼っていると円安のときに国民の家計を圧迫するし、海外から経済制裁を加えられたときもピンチになるという問題がある。
実際に2026年現在は円安傾向にあり、物価高が進んで国民の家計が苦しくなってますよね(^^;

あとは砂糖プランテーションで奴隷ではなく、正規に人を雇い給与を払ったら砂糖生産が成り立たなくなる感じだったんでしょうかね?
それとも莫大な儲け→微々たる儲けになって割に合わない感じだったんでしょうか?
書籍には後に砂糖プランテーションで移民(アジア人など)を契約労働者として雇い、働いてもらっていたと書かれていたので赤字ではなかったとは思いますが。
※イギリス領の砂糖植民地のプランターたちは奴隷制度が廃止されてからしばらくは、奴隷ではなくなった黒人たちを不自由な立場におき労働力として利用し続けようとしたそうです(すぐに上手く行かなくなったようですが)

余談ですが・・1833年にイギリス領における奴隷制度が廃止されてしまうと、これまで奴隷制度を守ろうとしてきたイギリス領植民地のプランターなど、西インド諸島派の人々は外国領の植民地でも奴隷制度を廃止させなければ自分たちだけが奴隷を使えないのでは不公平だと訴えたそうです。
奴隷制度の続いている外国領の植民地で作られた砂糖の輸入を禁止せよと言い始めた。
しかし、マンチェスター派は砂糖の価格が下がって庶民が入手しやすくするのが目的なので、西インド諸島派の訴えには耳を貸さなかったそう。

うーん、当時のヨーロッパ人って人間を儲ける道具としか思ってないんだな

マンチェスター派の動機も不純ですが、結果的には良い方向に進んでますね

ただし、19世紀の末までにはイギリス以外の国の植民地でも国際的な圧力によって、奴隷貿易や奴隷制度は廃止されていった。
しかしスペイン領のキューバの奴隷制度は1880年まで残り、砂糖生産を支えた。
同じく、ブラジルでも奴隷制度は遅くまで廃止されなかった。ここでも砂糖のあるところに奴隷ありだった。

四季のある温帯で砂糖は作れるのか?

サトウキビは赤道近くの熱帯で育てるのに適している。四季がハッキリした温帯では育てることができない。
そこで砂糖大根(ビート糖=甜菜・てんさい)の研究開発が進められた話が紹介されていました。
この研究開発はドイツの一部になったプロイセンという国が行ったそうです。
※調べてみると、ビート糖は白砂糖(サトウキビの砂糖)より、まろやかな甘さとコクがあるのが特徴と書かれていました。値段的にもビート糖は白砂糖より1.5倍くらい高いことが多い
ただし、北海道の直売所などでは白砂糖と同等の値段で買える場合もあるのだとか(AI回答より)

全然関係ないんですが、ドイツの話題が出ていた部分で・・
「近代国家の統一が遅れ、植民地獲得競争に遅れをとったドイツやイタリアは砂糖植民地を持っていなかった」と書かれていたので、これが第一次世界大戦・第二次世界大戦の伏線なのでしょうか。
おそらく、ドイツもイタリアも植民地がない=周囲の国に比べて財源がない貧乏な国だったと予想されるので。

三国同盟がドイツ・イタリア・オーストリア(1940年に日独伊三国同盟)、三国協商がイギリス・フランス・ロシアでしたね

また貧乏=無敵の人(国)になる話につながるのか・・

余談:今日では砂糖は逆に敬遠されがち?

先進国限定の話ですが・・今日の豊かな日本や米国などでは砂糖の取りすぎは逆に太ってしまったり、糖尿病の原因になるので敬遠されるようになってきたと書かれています。

あれほど高価で貴重といわれたきた砂糖が今日では逆に敬遠されるのは面白いね
インフレとかもあるから昔と今の砂糖の価格は比較できないけど、令和現在だと1kg300円以内で手軽に買えるしね(※ネット価格参照)

よく1秒単位で世界で〇人の子供が病気やケガ・栄養失調で亡くなってるという情報がありますが、砂糖があれば何人かは救われるんでしょうかね?

まとめ:色んな犠牲の上に成り立った砂糖という商品と世界史のつながり

・昔は砂糖は高価で貴重なものだった
・ヨーロッパ諸国は砂糖植民地で莫大な利益を得ていた
・砂糖は奴隷という犠牲の上に成り立った商品であった
・令和現在は砂糖は敬遠されがちな食品(調味料)となった
・学生時代に習った世界史知識を持って、この書籍を読むと理解が深まる

最後にこんなことが書かれていました。

かつて歴史家は国や国民を単位として世界の歴史を考えていました。
国民が勤勉に働き無駄遣いをしなかった国は豊かになり、怠け者の多い国は貧しくなったのだというような考え方です。
カリブ海に色々な産業が成立しなかったのは、黒人たちが怠け者だったからではありません。
実際には、この地域が世界商品となったサトウキビの生産に適していたためにヨーロッパ人がここにプランテーションを作り、モノカルチャーの世界にしてしまったことが大きな原因だったのです。

砂糖の世界史より

※モノカルチャーとは、特定の作物や産業・文化など一種類のものに過度に依存している状態を指す言葉で、農業では単一作物の大規模栽培ことを指す(ヤフーAI回答より)

SNSでも度々論争になっていますが、自己責任論や努力不足論の話。
背景を知れば軽々しく言えなくなりますね(^^;

この記事の執筆者は歴史がそこまで苦手ではないので、興味深く読ませていただきました。
歴史好きな方にオススメできる書籍だと思います(歴史が苦手な人でも難しくはないと思います)。

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